フィリピンでアシスタントと家探しをしていたある日、 赤いプラスチックの椅子を杖代わりに、必死で歩いている男性に出会いました。
よく見ると、片側の手足に麻痺があるご様子。 思わず声をかけると、半年ほど前に倒れたこと、命は助かったけれど半身が不自由になったことを教えてくれました。
「まだ神様が『来るな』って言ってるからね。遠くへは行けないけど、近所をうろうろしてるんだよ」 冗談めかしてそう話す彼の目には、どこか寂しさと強さが混ざっていました。
私たちはすぐに思い出しました。 以前、日本人の鈴木さんから預かったままになっていた、大人用の歩行器が家にあったことを。
「よければ、その歩行器をお渡ししますね」 そう約束すると、彼は無表情でビサヤ語でアシスタントに尋ねました。

「これは……神様が“歩け”と言っているのか?」 アシスタントは笑顔で答えました。 「はい、これはあなたの使命です。近いうちに必ず持ってきます。待っていてくださいね」 連絡先も分からないということで、場所だけメモしてその日はお別れしました。
それから5日後、歩行器を抱えて彼のもとへ向かいました。
歩行器には『長生きしてください』とメッセージを書いて。。。

すると…なんと! お父さんは大通りでずっと待っていたそうです。
「もしかしたら今日かも」って。

歩行器を渡すと、彼はすぐには笑顔ではありませんでした。
「本当にタダで?なぜ?」と、不安そうな顔。
でも、少しずつ事情を説明するけど、疑いが残る中、無表情で「ありがとう…」

自宅にもお邪魔させていただきました。
お父さんが寝ているベッドは厳しい状態でした。
生活の大変さがひしひしと伝わってきました。


この環境の中、部屋の真ん中にあったピカピカのパソコンと机が目を引きました。
実は彼の娘さんと義理の息子さんが、 お父さんの入院費でできた借金を返すために、親戚が用意した、パソコンで アメリカのカスタマーセンターの在宅勤務を紹介してくれ、始めたそうです。 「1日4時間働けば、家族が食べていける。贅沢はできないけど、借金も返せてます」 その言葉に、安心がありました。

この鈴木さんの歩行器が、ただの道具ではなく、 「もう一度歩く」という勇気のきっかけになったとしたら。 この出会いが、少しでもご家族の希望になったとしたら。 そう思うと、心の奥がじんわりと温かくなります。
私達は歩行器の他にも、炊飯器、USBで繋ぐマイク、かばん、その他生活用品も持っていきました。



『マイクを見てお父さんは歌うのが大好きで近所の方とカラオケします。』
と娘さんは大喜びしてくれました。
なぜ、マイクが混じったのかが不明ですが神様が私達を使って無意識に届けたとしか思えない出来事でした。
私たちは、留学サポートだけでなく、地域の皆さんと共に生きる存在でありたい。 そんな想いを胸に、これからも小さなボランティアを続けていきます。